フェルディナント・フォン・シーラッハの「犯罪」の感想。


「犯罪」はドイツの刑事事件弁護士シーラッハが、実際の事件に着想を得て書いた短編集。

当然、すんごい陰惨な感じなのかと思ったんだけど、シュールな印象を受けるくらいに淡白で、
叙述者の感情はほぼ書かれない。
ドイツ文学っていうと、カフカくらいしか知らないんだけど、近いものを感じた。 


一篇ずつ感想。

①「フェーナー氏」。
あらすじだけ聞くと、ありがちな夫婦間の犯罪だけど、読むと胸に迫る。
必要最低限の内面描写だが、噛むと溢れだすほどのものが行間に挟まっている。
最後まで読んでから、フェーナー氏が「誓い」を交わすシーンを読み返すと、
なんともいえない味わいがあっていい。 


②「タナタ氏の茶わん」。
わんの字が特殊文字なのは、明らかに意図的だろうな。スピード感があり、コンゲームの面白さに満ちている。
ガロテの使い方の説明や、実際にそれを使用するシーンが「実際にあったことを報告書のように述べる」感じで怖い。
「タナタ」ってのは「田中」のことかしら。 

③「チェロ」。
個人的には本書の中でベストかも知れない。
家族が体を病んでから、こういう「不幸が感染する」ような話が沁みるようになった。
愛する者を殺めるシーンは、あえて演出や叙情を抑えてあるのが逆にきつい。
最後のグレートギャツビーの引用が独特の読後感を残していい感じだなー。
 


④「ハリネズミ」。
本書のなかで一番エンタメな感じの一作。
狐とハリネズミの寓話が、なんかイマイチしっくりこないのは、俺の頭が悪いせいか。
「バカなフリをしてやりこめる」というシンプルな爽快感があって読みやすい。
法廷シーンはミステリ的で面白いなー。 


⑤「幸運」。
読み返して、冒頭のシークエンスはミスリードを誘ってるんだとようやく気付いた。
「死体損壊」は動機によって全く違う扱いになるんだなー。
しかし「愛ゆえの」って言うか「愚かさゆえの犯罪」という感じもするが。 

⑥「サマータイム」。
明確なメイントリックがあり、一番ミステリに近い作品。個人的には一番印象が薄い。
トリックや謎ときが存在すると、それに注意をとられて話そのものを忘れてしまうなー。
法廷での逆転劇は爽快だけど、弁護対象にも同情できないのであんまりカタルシスは無かった。
 


⑦「正当防衛」。
異色の一篇。ネオナチ二人組をシメるシーンがマンガチックですげえ笑った。ゴルゴかよ。
「この世には知らない方がいいことがある」的な後味だけが残るラストがいい感じ。
ヒトラーユーゲント指導者の孫である作者は、ネオナチに対しどういう感情を持っているんだろうな。
 


⑧「緑」。
羊を殺し、眼球を刳り抜く少年。行方不明になる少女。
サスペンスの香り満載の話だが、オチは割とサラッとしている。ハウダニットがメインの話。
「彼はただのさびしがり屋の不安に怯える少年だった」という統括的な一文が上手い。
 


⑨「棘」。
偏執的な動機を淡々と描く、奇妙な味わいのある短編。
「気になってしょうがない」ってことはあるよね、というくらいには共感した。
現実世界の現実的な犯罪の話なのに、どこか幻想的な空気がただよう不思議なエピソードだなあ。 


⑩「愛情」。
10ページくらいの掌編。カニバリズムというエグいテーマをサラリと書いている。
佐川一政の名前が出てきてギョッとした。レクター博士の次に名前が出てくるくらい、世界的有名人なんだなあ。
救いの無いオチは好き。 


⑪「エチオピアの男」。
エチオピアの貧しい村を救った男は、何故強盗を犯したのか。
最後の最後に思い切り感動的なエピソードで、油断してたらちょっと泣きかけた。
これまでどちらかというと救いが無い話ばかりだったので、このハートウォーミングな話を
最後に持ってこられると沁みるものがある。 


最後のエピグラフ「これはリンゴではない」は、かなり解釈が割れている様子。
俺はまあ、全部の短編にリンゴが出てきている、ということにさえ
初読時に気付かなかったくらいなので、何も解釈はしません。