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ついに「化物語」コミカライズに手を出す日が来ました。

ちょっと前段、俺個人の思い出から。

以前、「掟上今日子の備忘録」の感想書いたときにも触れましたが
基本「西尾維新作品」は全然読んできていません。
特に避けたわけでもなく、知ってるけどなんとなく触れてない感じ。

「物語」シリーズも全く未読で、シャフトのアニメも見ていません。
大ブームになってる時期、ニコニコでOPアニメを見た程度。
「恋愛サーキュレーション」だけ知ってるというレベルです。

一方で大暮維人作品は高校生の頃に「天上天下」読み始めてから
ずっとファンだと言い切れます。「エア・ギア」も好き。

化物語コミカライズが始まったとき、「さもありなん」というか
「なるほど、この組み合わせがあったか!」というポジティブな驚きと、
同時に「クセ強原作×クセ強作画の組み合わせどうなんだろ」という
一抹の不安も感じたりしました。
未読のくせに勝手にクセ強原作と決めつけるんじゃない。

ということで、純粋に「漫画版だけを見た人間」の感想になります。
事前情報もないので「どういうジャンルか」すら分かっていない状況です。

楽しみです。よろしくどうぞ。

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もうこの自転車の作画だけでフェティシズムを刺激されて興奮しちゃうよね。
小一時間見てられる。

大暮維人作画の超絶美麗かつバッキバキに硬質の表現が存分に味わえるぜ。
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戦場ヶ原が文房具を構えるシーン、冷静に考えるとここを見開きにして
絵として間を持たせるのスゲーと思うんですよ。

ここを「見せ場」にするの卓絶した画力が無いと無理じゃない?
まあ俺、絵が描けないからわかんないけども。勘で適当なことを言うな。
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冒頭からメチャクチャモノローグ過多でキャラクター設定が説明されていくので、
最初は正直「小説原作コミカライズってこうなりがちだよなあ」と捉えてたんだけど、
しっかり内容を読んでいくと、原作の味を出すためにはこの過剰なテキストが
必要なのではないかと考えが変わってきた。

この「多弁」「過剰」なことこそが西尾維新味なのではなかろうか。
重ねて言うけど、原作読んでないので勘で適当なことを書いています。

板垣先生の「餓狼伝」も、独自アレンジがバッキバキに入っているけど、
原作の超カッコいいテキストはしっかり作中に組み込んでて、
それがしっかり活きてたし。

ちゃんと「力の込められたセンテンス」は作中に活かさないと
コミカライズの意味がないのかも知れないなーと。
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背景含め、すっごいトーン少なめに押さえられてて、緻密なのに
見づらい・分かりにくいって感じになってなくて素敵だな~と。

絵が極まっていくとトーン使わなくなっていくのだろうか?
田島昭宇先生や小畑健先生とか、或いはあずまきよひこ先生もそうだけど、
こういうスタイル個人的に大好き。
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「モノローグで設定を説明しつつ、キャラクターは会話で立てる」

考えてみたら当たり前の手順ではあるんだけど、実際やろうとしたら
「面白い発想」を矢継ぎ早に積み重ねていかないとこうはならないので、
あからさまに天才の仕事なんだろうなと思う。
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あと、読み始める前は結構落ち着いたトーンの物語だと勝手に思ってたもんで、
割とアクション性高いのにビックリした。
会話劇みたいな状態がババーッと続いてタメてから、急激にアクション入るから
退屈しなくて実にいいですね……。

主人公の設定も含めて、今後もそこそこアクション味が入ってきそうで、
「大暮維人バトルアクション」が大好きおじさんの俺としては嬉しい限りである。
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(これはおそらく、十五年前から言われてることなんだろうけど)
怪異周りの話は、一巻の途中の時点でもう「京極夏彦っぽい!」という感じで
テンションが上がってしまった。

百鬼夜行シリーズの一種の現代版パロディ的な構造だったのか。
そうか「ひたぎクラブ」みたいにタイトルに怪異名が入ってくるのも、
考えてみたら「鉄鼠の檻」とか「姑獲鳥の夏」みたいだもんな。

どうあれ、京極堂のあの「仕組み」が大好きだった俺としては、それをより
ライトノベル的文法に乗せた本作の物語構造もお腹いっぱい楽しめたな。


ということで、2006年に出た原作について、周回遅れも甚だしい感想
なってしまったとは思いますが、読んで思ったことをつらつら書いてみました。
でもこういうの「初読の感想」を残しておくのって大事やん?
そういうの……素敵やん?

続刊も追って感想を書いていこうと思います。
ご清聴有難うございました。