ブログ記事の書き溜めがなくなってきましたので、どうでもいい
俺の随筆……というか独り言みたいなので間を埋めようと思います。
特段読んでもメリットが無いやつです。
まあそれは全部の記事がそうか。
今日のテーマは「久々にネームを切って思ったこと」。
誰に頼まれたわけでもなく、完全に単なる趣味なんですけど、
43ページの漫画のネームを切ってみました。
歴史上の人物をテーマにした読み切り。
二年前くらいに一回ボツにしたやつのリプレイス版です。
前のとは、何もかも違う作りになりました。
前は、デカ武人の石勒と、天才陰キャ軍師張賓の、史実ベースの話だったのを、
チビ盗賊の石勒と、長身天才陽キャ軍師張賓の、ほぼ創作ベースの話に作り変えました。
いや、前のヤツ、後でネーム読み返したらマジでつまんなくて愕然としたので……。
「せめて、メインキャラ同士のやりとりに少しでもニヤニヤ要素を」と
必死に考えた結果「身長差をつける」という良くわからない結論に至りました。
あと、蒼天航路とかの「ハチャメチャなようで史実ベース」のバランスが好きなので
マネしたかったんですが、俺の技量でそれをやるとただただ分かりにくくなるので、
もう史実無視して「このタイミングで張賓いるのおかしい」という話にしました。
そこまで頑張ったけど、まだ全然面白要素が足りてないな~って思います。
「面白い」ってどうやって作るのよ?(疑問)
まあそんな感じで、ネーム切ってて頭に浮かんだことがいっぱいあるので、
テーマごとに思うことをダラダラ書きます。
①自分の作品が「面白いかどうか」ってなんで分かんないんだろう?
バカみたいな書き方だけど、マジで、他人がつくったものだったら
「面白い」「つまらない」が分かるのに、自分のってマジでわかんねえ。
いや、物語全体の話だけじゃなく「このセリフ」「この展開」
「このキャラクター」とかの個別要素が「新しいか?」「面白いか?」
「カッコいいか?」ということの判断も難しい。
自己満足の空回りなんじゃないのか?
五年前とかに作って「自分が描いたことすら忘れていた」みたいなのだと、
ようやく客観的に見ることが出来る。そのときの失望感ってすごくて。
「ああ、俺はこの程度なんだな……」ということを骨の髄まで味わえる。
やっぱアレか、創作行為自体の脳内麻薬のせいなのかな?
作るときの苦労とか自分なりの工夫やこだわりが全部加点されて、
それがアウトプット出来た喜びでスゲーいいものに感じられちゃう。
よくたとえられるけど、子供が生まれて親バカになるのと同じ原理なのかな?
この麻薬に騙されずに判断するためには何が必要? ということで
次のテーマにつながるのですが。
②「正解が無いもの」を自分で決めていくのメッチャ難しいな!
俺は、自分なりの確固たるポリシーが無いので、
率直に言って「目安がほしい」という気持ちがある。
すっげえ情けないことなんだろうけど、自分の指針に自信がない。
ネーム切る時も「1ページあたりのコマ数」とか「場面転換の頻度」とか
「テンポ悪くないか? 急ぎすぎて上滑りしてないか?」とか
色んなことに目安が欲しくなる。
「メクリ部分(奇数ページのラストコマ)には気になる要素を入れる」とか
「棒立ちのキャラ二人の会話が延々続くのは避ける」とか、そういう
具体的で分かりやすい指標がもっとたくさん欲しい。
「3~5コマで割ったページが延々続くと平板な印象になる」というのもあるけど、
それで全然面白いマンガもいっぱいあるから必ずしもそうってワケじゃないし。
かと思えば1ページに8コマ9コマ詰め込んでも読みやすい場合もあるし。
ぎゅっと情報量詰め込んだコマが続いてからガッと大ゴマ使うと、
開放感がある……みたいなメリハリもあるだろうし。わかんねえ。正解がねえ。
場面転換も毎度「難しいなわかんねえな」ってなりがち。
皆川フェードみたいなテクいのじゃなくても、色んな手法が薬籠中にないと
これまた淡々とした作りになっちゃうだろうし。
あと俺はついついセリフを入れすぎて「会話劇」風にしちゃう傾向がある。
会話がメッチャ面白いならそれもいいだろうけど、そういうセンスないのでアカン。
なので今回、極力「走らせながら会話する」というのを今回試みた。
「棒立ちじゃなきゃいいんでしょ」というバカの発想なんだけど、
少なくとも画面が動いてるし、多少はマシだろう。
ライツ・カメラ・アクション、ということで、基本的には静的なシーンでも
「アクション」はしてないといけないな~って意味なんだろうと思う。
③ネームはあくまでネームなので、骨組み相当の評価までしかできねえな!
こんなこと今更実感してるのかよ、ってレベルのことなんだけど
ネームはネームであってマンガじゃないので、そこで面白さは評価できねえ。
昔、工事現場の現場監督やってたので、一番しっくりくる例えは「施工図」だ。
現場監督がパソコン使って作る「施工図」は、非常に重要で
それがないと職人さんが仕事できないようなものなんだけど、
一方でソレ通りには基本的に仕上がらなくて、最後の出来上がりを決めるのは
職人さんの「手先」の仕事なんだよな。却って分かりにくいかこの比喩。
とにかく、最終的にFIXしてない状態で面白さを判別するのは実は困難だなと
今更ながらに思う。
極論、面白くない原作ネームを、作画が超パワー吹き込んで面白くすることや、
その逆も可能なのではないかとすら思った。
④オレ、「プロット」ってやつを全然組めないな!
今回だけじゃないんだけど「プロットを引いてからネームに起こす」みたいなの
俺って出来ないんだ、ということをこの五年で身にしみて理解した。
「こういうの描きたい」というボヤ~っとしたビジョンを、もうちょっと
噛み砕いて設計図にするのがプロットだと思うんだけど、それが全く出来ない。
多分俺は、「ネームにして1ページ目から順繰りに作っていく」以外の
創作方法を持ってないんだな……。
(それすらマトモに出来たことがない、というのが前提だけど)
先のことなんかまるで考えず、描きたいシーンを継ぎ接ぎしていって
ラストに収集がつかなくなったり帳尻が合わなくなったりしたのを
なんかいい加減な飛躍で誤魔化す……という。
まあそれならもう、俺はそうなんだなって理解して、そういうことを
コンスタントに出来るよう頑張ろうって感じか。
――ということで、創作をしないと人生つまんないなって気づいたので
今後も少しずつマンガ描いたりアレしたりコレしたりしていこうと思います。
今回のネーム、いつかどこかで公開するかも知れませんが、一旦客観視できるまで
半年くらいは寝かせておこうかと思います。
俺の随筆……というか独り言みたいなので間を埋めようと思います。
特段読んでもメリットが無いやつです。
まあそれは全部の記事がそうか。
今日のテーマは「久々にネームを切って思ったこと」。
誰に頼まれたわけでもなく、完全に単なる趣味なんですけど、
43ページの漫画のネームを切ってみました。
歴史上の人物をテーマにした読み切り。
二年前くらいに一回ボツにしたやつのリプレイス版です。
前のとは、何もかも違う作りになりました。
前は、デカ武人の石勒と、天才陰キャ軍師張賓の、史実ベースの話だったのを、
チビ盗賊の石勒と、長身天才陽キャ軍師張賓の、ほぼ創作ベースの話に作り変えました。
いや、前のヤツ、後でネーム読み返したらマジでつまんなくて愕然としたので……。
「せめて、メインキャラ同士のやりとりに少しでもニヤニヤ要素を」と
必死に考えた結果「身長差をつける」という良くわからない結論に至りました。
あと、蒼天航路とかの「ハチャメチャなようで史実ベース」のバランスが好きなので
マネしたかったんですが、俺の技量でそれをやるとただただ分かりにくくなるので、
もう史実無視して「このタイミングで張賓いるのおかしい」という話にしました。
そこまで頑張ったけど、まだ全然面白要素が足りてないな~って思います。
「面白い」ってどうやって作るのよ?(疑問)
まあそんな感じで、ネーム切ってて頭に浮かんだことがいっぱいあるので、
テーマごとに思うことをダラダラ書きます。
①自分の作品が「面白いかどうか」ってなんで分かんないんだろう?
バカみたいな書き方だけど、マジで、他人がつくったものだったら
「面白い」「つまらない」が分かるのに、自分のってマジでわかんねえ。
いや、物語全体の話だけじゃなく「このセリフ」「この展開」
「このキャラクター」とかの個別要素が「新しいか?」「面白いか?」
「カッコいいか?」ということの判断も難しい。
自己満足の空回りなんじゃないのか?
五年前とかに作って「自分が描いたことすら忘れていた」みたいなのだと、
ようやく客観的に見ることが出来る。そのときの失望感ってすごくて。
「ああ、俺はこの程度なんだな……」ということを骨の髄まで味わえる。
やっぱアレか、創作行為自体の脳内麻薬のせいなのかな?
作るときの苦労とか自分なりの工夫やこだわりが全部加点されて、
それがアウトプット出来た喜びでスゲーいいものに感じられちゃう。
よくたとえられるけど、子供が生まれて親バカになるのと同じ原理なのかな?
この麻薬に騙されずに判断するためには何が必要? ということで
次のテーマにつながるのですが。
②「正解が無いもの」を自分で決めていくのメッチャ難しいな!
俺は、自分なりの確固たるポリシーが無いので、
率直に言って「目安がほしい」という気持ちがある。
すっげえ情けないことなんだろうけど、自分の指針に自信がない。
ネーム切る時も「1ページあたりのコマ数」とか「場面転換の頻度」とか
「テンポ悪くないか? 急ぎすぎて上滑りしてないか?」とか
色んなことに目安が欲しくなる。
「メクリ部分(奇数ページのラストコマ)には気になる要素を入れる」とか
「棒立ちのキャラ二人の会話が延々続くのは避ける」とか、そういう
具体的で分かりやすい指標がもっとたくさん欲しい。
「3~5コマで割ったページが延々続くと平板な印象になる」というのもあるけど、
それで全然面白いマンガもいっぱいあるから必ずしもそうってワケじゃないし。
かと思えば1ページに8コマ9コマ詰め込んでも読みやすい場合もあるし。
ぎゅっと情報量詰め込んだコマが続いてからガッと大ゴマ使うと、
開放感がある……みたいなメリハリもあるだろうし。わかんねえ。正解がねえ。
場面転換も毎度「難しいなわかんねえな」ってなりがち。
皆川フェードみたいなテクいのじゃなくても、色んな手法が薬籠中にないと
これまた淡々とした作りになっちゃうだろうし。
あと俺はついついセリフを入れすぎて「会話劇」風にしちゃう傾向がある。
会話がメッチャ面白いならそれもいいだろうけど、そういうセンスないのでアカン。
なので今回、極力「走らせながら会話する」というのを今回試みた。
「棒立ちじゃなきゃいいんでしょ」というバカの発想なんだけど、
少なくとも画面が動いてるし、多少はマシだろう。
ライツ・カメラ・アクション、ということで、基本的には静的なシーンでも
「アクション」はしてないといけないな~って意味なんだろうと思う。
③ネームはあくまでネームなので、骨組み相当の評価までしかできねえな!
こんなこと今更実感してるのかよ、ってレベルのことなんだけど
ネームはネームであってマンガじゃないので、そこで面白さは評価できねえ。
昔、工事現場の現場監督やってたので、一番しっくりくる例えは「施工図」だ。
現場監督がパソコン使って作る「施工図」は、非常に重要で
それがないと職人さんが仕事できないようなものなんだけど、
一方でソレ通りには基本的に仕上がらなくて、最後の出来上がりを決めるのは
職人さんの「手先」の仕事なんだよな。却って分かりにくいかこの比喩。
とにかく、最終的にFIXしてない状態で面白さを判別するのは実は困難だなと
今更ながらに思う。
極論、面白くない原作ネームを、作画が超パワー吹き込んで面白くすることや、
その逆も可能なのではないかとすら思った。
④オレ、「プロット」ってやつを全然組めないな!
今回だけじゃないんだけど「プロットを引いてからネームに起こす」みたいなの
俺って出来ないんだ、ということをこの五年で身にしみて理解した。
「こういうの描きたい」というボヤ~っとしたビジョンを、もうちょっと
噛み砕いて設計図にするのがプロットだと思うんだけど、それが全く出来ない。
多分俺は、「ネームにして1ページ目から順繰りに作っていく」以外の
創作方法を持ってないんだな……。
(それすらマトモに出来たことがない、というのが前提だけど)
先のことなんかまるで考えず、描きたいシーンを継ぎ接ぎしていって
ラストに収集がつかなくなったり帳尻が合わなくなったりしたのを
なんかいい加減な飛躍で誤魔化す……という。
まあそれならもう、俺はそうなんだなって理解して、そういうことを
コンスタントに出来るよう頑張ろうって感じか。
――ということで、創作をしないと人生つまんないなって気づいたので
今後も少しずつマンガ描いたりアレしたりコレしたりしていこうと思います。
今回のネーム、いつかどこかで公開するかも知れませんが、一旦客観視できるまで
半年くらいは寝かせておこうかと思います。