22ク
個人の思い出話を書きます。

地球上の誰一人として読む必要のない文章です。
それを書き殴って記事にするの、無人島で書いた手紙を瓶に詰めて海に流すような
独特のむなしさと快楽がありますよね。

しかも、確か2019年頃に一回似たような記事を書いてるし。
とにかく、宜しくお願い致します。
誰によろしくしているのかもわからない。

運転免許を取ったのは大学三年のときだったと思う。
「大学在学中に取らな!」と焦って教習所に行った。

確か、20万円くらいの現金を持ってドキドキしながら受付に行った。
「こんな大金を現ナマで持ちあるくの初めて」って思いながら。

最初の授業で、いきなり「校内を一周してください」と言われて
「えっ、いきなり本番!?」ってパニクッたのも覚えている。

ともあれ、言われるがままにエンジンをかけてアクセルを踏み、
一周し終わって「まあこんなもんかな」と思ってたら、教官の顔が曇っていた。
「コイツマジかよ……」という顔だった。
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不器用で鈍くさいうえに注意力散漫で、更に空間把握能力が怪しい俺なので、
もう完全に運転に不向きとしか言いようがなかった。

あと、これはかなり後になって気付いたことなんだけど
俺はどうも「コーナーリング」という概念がいまいち理解しきれてないというか。
ゲームで車操作してるときですらそうなんだけど、減速してコーナーに入って
出るとき加速する……みたいなことがもう全然出来ない。カベにぶつからず曲がれない。

なので教習所通いはもうしんどかったですね……。
ずっと怒られたり呆れられたりしてたと思う。

あと、これは余談ですけども。
大学生活って親にも学校にも怒られない「叱られない日々」が続くので
「叱られ耐性」がメチャメチャ低くなってたと思う。

たまにバイト先の人とかに怒られたりするとメチャクチャ落ち込んでたし、
「怒られるのが不安で体調崩す」みたいなセンシティブなことすらあった。
すっかり忘れてしまっているが、大学生ってそういうとこある。

教習所通いのなかで運転技能自体が全く成長しなかったうえに、
恥ずかしながら筆記もダメだった。学科試験も一度落ちた。何もかもダメじゃねーか。
仮免試験も確か一時停止忘れとかで一回落ちたな。
卒業試験がどうだったかは覚えていないが、多分落ちてたんじゃねーかな。

ひとつだけ確かだったのは「免許取ったけど、運転の方法全然分からんぞ?」って
状態だったということ。えっ、このまま公道出たら死ぬんじゃね? って感じだった。
結局、免許取得後、大学を卒業するまで一度も運転する機会はなかった。

その状態で、俺は工事会社に入社した。

現場に行くときなど、当然ながら業務には運転がしっかりと含まれる。
助手席に座った先輩に、箸の上げ下ろしまで怒られるような日々が始まった。
これは当然というか、出来てないんだから指導するのは当たり前のことである。

とはいえ、明確に「苦手なこと」をやって怒られまくる日々は単純にキツかった。
(これは運転そのものというより、工事業務すべてがそうだったんだけども)
当時の「仕事のキツさ」の二割くらいは「運転が苦痛」だったような気がする。

パワハラなんて概念がまだ全然知られて無い時代だったので。それはもう
「マジで死んだほうがいいんじゃないの?」くらいの言われ方をされまくった。
ここで、俺にとっての「運転」は、イコール「苦痛・地獄」になった。

あと、ゴリゴリ都心の会社だったので、運転する場所が渋谷だの銀座だの
赤羽橋だの大手町だの、とにかく超交通量の多い場所だったのもキツかったな。
初心者にしていきなりベリーハードモードだった。

皇居周りの片側四車線だとか、赤羽橋の五差路とかを俺が走るの、
無謀だったんじゃないかと思う。ワンチャン皇居の濠に突っ込む可能性すらあった。
自分で気付いてない無自覚な交通ルール違反とかガンガンしてたと思う。
「逆走してないだけマシ」レベルの運転技術だった。

なにしろ丸二年運転したのに、俺は最後まで「車線変更の仕方」が分からなかった。

勿論、通り一遍の「ウインカー出して、ルームミラー見て、ドアミラー見て」
みたいな説明は聞いているけど、実際やるときはほぼ勘であった。
「車両感覚」というものも全く理解できず「みんなどうやってんだ?」って思っていた。
いやだって、ミラー見てるとき前見れないじゃん。みたいな。

で、案の定、職務中に追突事故を起こした。

20年近く前なので余り細かく覚えてはいないが、ちょっと慣れてきて
助手席の先輩と軽妙なトークが弾んでいたような記憶がある。
恐らく油断があったのだろう。
ぶつける直前、先輩が「危ない危ない危ない!」と叫んだことを覚えている。

会社の車をオシャカにし、さぞかし怒られるだろうと怯えたのだが、
先輩方は「まあしょうがないよ」と少なくとも表面上は優しくしてくれた。

で、これが恐ろしいポイントなのだが、俺はこの事故について
「なぜ起きたのか」「次はどうしたら避けられるか」という点が全く分析出来なかった。
いつも通りやってたのに、知らんうちに追突していたのだ。

さっき「油断」と書いたけれど、気を張ってれば事故らなかったのか? というと
それも分からない。やっぱり俺は根本の部分で運転が分からないのだ。

分からないから、事故率を下げる方法も全く分からない。
丁寧にやろうが慎重にやろうが、何しろ「分からない」のだ。
たまたま事故らないのを祈るしかない。そういう状況だった。

すごいどうでもいい話だけど、事故後の再講習を受けに行ったら、
当時売り出し中のモデルだった山田優に出くわした。
山田優が運転する車の後部座席に乗ったりもした。

ウインカー出すときミスをして教官に指摘されたとき、
「いつもは左ハンドルなんで」と笑っていたのを覚えている。
本当にどうでもいいエピソードかよ。
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で、工事屋をやめて少ししたころ、2006年のゴールデンウィークに
友人達とレンタカーで旅行に出かけた。

峠を走るとき、俺が運転したのだが、友人たちにゲラゲラ笑われることになった。
そして、俺は恥ずかしいとか情けないとか以前に「なぜ笑われているのか」が
全く理解できなかった。自分の運転がどうおかしいのかが全く分からないのだ。

だから、というワケでもないんだけど、この日が俺の人生で運転をした最後の日である。
今の会社に転職をして、業務で運転をする機会はなくなったうえに、
私用で運転する機会も全くなかった。

そして16年が経過した。
正直もう「どっちがアクセルでどっちがブレーキだったっけ?」という次元である。
若いころより一層反射神経が鈍り、判断も曖昧になった。
今運転したら、人を撥ねない自信が全くない。

今後も、運転をする機会は恐らくないだろう。一生ないのではないかと思う。
「俺が運転しないと人が死ぬ」くらいの追い込まれ方にならない限りは。

長々と書いたように、俺は最初から運転が苦手で嫌いで、いい思い出は一切ない。

でも、もうちょっと早めに免許取って、地元を自由気ままにドライブ、みたいな
思い出が作れていたら、状況は多少違ったのかなあ……などと最近思ったりもする。
まあ、そうならなかったのだから仕方が無い。

ということで、本当にただの思い出話でした。
ご清聴ありがとうございました。